かつてのHPより。2002年8月3日付
ここのところ大学教員の夫が猛烈に忙しい.
去年,この大学改革の真っ只中の非常事に,まったく柄にもなく役職についてしまって以来,一緒に食卓を囲める機会がぐっと減ってしまった.特にここ数週間は,COEや大学評価問題の責任者という立場上,土日も返上しての連日出校,帰宅も10時、11時とという状況だったので,一緒に食卓を囲むチャンスがまったくなかったのだ.
先日の土曜日,久しぶりにのんびりと4人で食卓を囲んで朝食をとった.
ダンナはごはんのおかずの食べ方のバランスが悪く,先におかずを食べてしまうのでご飯の方が残ってしまう.私が,それを注意すると,
「ごはんぐらい好きに食べさせてくれよ,はしの上げ下ろしにもうるさく言わなくても...」と言った.
「はしの上げ下ろしを言っているんじゃないでしょ」
「それは比喩的に言っているんで,云々官官」
そのやり取りを聞いていた娘が
「おとうくんは本当はいろいろと我慢しているんだよね」と言う.
「一体何をがまんしているのよ」
「いろいろだよ,ね~」と、娘と父親は共犯者のように顔を見合わせた.
その時息子の声がした.
「セッチン(息子は私をこう呼ぶ)が正しい.セッチンの言うことはいつも正しい」
私は思わず声を出して笑ってしまった.
じつにバカバカしい,他愛のない,どうでもいい家族の会話.でも,たった2週間くらいそれがなかっただけで,こうも懐かしいものか.
記録はここで途切れている。
おそらく、息子が中2か中3、娘が小6か中1くらいの時の会話だと思う。
家族それぞれが抱える問題がまだ顕在化しない”幸福な”時代の話。
子供が小さい時の会話をもっと記録しておけばよかったと、今、痛切に思う。
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