遠隔授業になって分かったことがある。
90分の授業で本当に必要な時間は、おそらく半分程度なのだ。
残りの時間は、若干授業に遅れて行ったり、出席を取ったり、プリントを配ったり、ビデオの準備に時間がかかったり、学生を指名して答えさせたり、学生が答えるのを待ったり、答えを訂正したり、学生同士の学び合いを促したり、発音させたり、黒板に板書したり、解答を黒板に書かせたり、ビデオを繰り返し見せたり、ちょっと雑談したり、その他諸々の授業に必要不可欠ではない、”無駄”な時間なのだ。
遠隔授業では、上記の”無駄”な時間は一切ない。ひたすら、説明と解説に専念できる。冗談や雑談を交えたり、丁寧な説明や繰り返しは、学生が不必要と思えば、2倍速で聴いたり、動画を飛ばして見ることだってできる。
純粋に情報を得るだけであれば、90分かけて行っていた授業は、50分もあれば実は足りるのだ。
では、残り40分が本当に”無駄”なのか、と問われると、これは即答しかねる。
もし対面授業で、今までの90分授業の内容をそのまま50分でやらなければならないとしたら、学生の理解度や反応は無視して、資料と黒板相手に、ひたすら喋りまくるしかない。
生身の人間を相手にする時は、知識を与えるだけではない、人間同士の交流も含まれるのだ、と考えれば、残りの40分には意味がある。もし、授業は知識の効率的な伝達のみでよし、と考えるならば、40分は無駄な時間となる。
ケースバイケース、各自の授業観による、としか言いようがない。
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