大学時代の思い出。
語学の専門大学だったので、予習は当たり前であった。特に女子は真面目な学生が多く、私たちはできる限りの準備をして授業に臨んだ。
授業開始前になると、お互いに正解を確認しあったり、分からない箇所を質問しあったりした。誰も意味が分からない箇所があると、戦々恐々。先生がその箇所を自分に当てないように密かに祈った。
別に先生方が厳しかったという訳ではない。
間違えたり、分からないと言うのが恥ずかしい、とする雰囲気があった。自分の無知が暴かれるのを恐れる気持ち、とでもいおうか。
私は、茨城県南部から豊島区にある大学まで電車通学をしていた。片道2時間弱かかったと思う。
大学1年生の時。
その日は、授業が一つしかなく、しかも、予習をした結果、その授業内容はすべて事前に理解可能であった。私は大学に行くべきかどうか迷った。しかし、先生が何か私が知らない事柄について言及するかもしれないと思い、大学まで遠征することにした。
分厚い眼鏡をかけた先生は、ご自分の書いた教科書を淡々と説明し、訳読しただけであった。その日は、親しい友人とおしゃべりすることもなく、私は、4時間かけて、何一つ得ることなく大学を往復した。
その時のむなしい気持ちは、長い間、鮮烈に印象に残っていた。
学生に予習を課す以上は、内容が完璧に分かっている学生に対するサーヴィス精神が必要だと、痛切に感じたことである。
私が学生に予習を課さない理由の一つはこれかもしれない。幸か不幸か、私の大学には、予習の段階で完璧に理解できる学生はそう多くはいないと思うが。
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