かつてのHPから。2001年7月7日
去年のこと. 社会が嫌いな息子が明日の試験勉強をしている.江戸時代の歴史を勉強しているらしい.「老中,若年寄,×××...」そして10分おきくらいに「ああ,なんでこんなこと暗記しなくちゃならないんだよ!」との叫び声を挙げている.
それを聞くと私も胸が痛む.もしかしたら明日のスペイン語の試験のために,何人かの学生は「hablo, hablas, habla...,ああ,なんでこんなこと暗記しなくちゃならないんだよ!」と言っているかも知れないからである.
社会は暗記しなくちゃならないから嫌いだと息子は言う.
「そんなこというけど英語だって暗記じゃない.どうして英単語の暗記はいやじゃないのよ」と私はたしなめるつもりで聞いてみた.
すると息子は、今初めて気がついたように「あっ,確かにそうだね,英語も暗記か...」
そしてちょっと考えてからこう答えた.
「英語は今まで分からなかったことが分かるようになるんだよ,おもしろいじゃないか,だけど社会はそうじゃない」
息子が中学2年生の頃であろうか。
同じ暗記でも、社会と英語の暗記は違う。語学で暗記をしなければならないのは語学が上達する必須要件であるが、社会の暗記はそうじゃない。(おそらく)試験のためだ。
そして、試験のために暗記を強いられるのは社会だけじゃない。残念ながら大学の授業だって、ほとんどが暗記だ。特に文系の大学ではその傾向が強い。試験監督で他の先生方の試験補助に行き、試験問題を見ればよく分かる。
「暗記」そのものが悪いとは思わない。問題なのは、中身を理解しないで、単に、言葉の定義だけを暗記していることが問題なのだと思う。
重い問題だ。ある意味教育の根幹に関わる。これについてはいずれまた考えてみたい。
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