(かつてのHPの記録から:2002年8月3日)
中3の息子は,数学と英語は得意だが,社会が嫌いである.
先日,今日は学校でなにを勉強したのか,という話しになった時,「何をやったかな...確か社会をやったな.でも,社会っていうのは,先生の話が,こっちからこっちへ抜けちゃうんだよな」といって,左右の耳を指さした.
「だって,あんたは社会に関しては何にも知らないんだから,先生の話は頭に残るはずじゃないの」と聞いてみた.するとこう答えたのである.
「何にも知らないから,何にも残らないんだよ.英語や数学で自分が知っていることだったら,先生はこの問題をどう説明するんだろうと思って聞くから頭に残るんだ」と答えたのである.
私は「あっ」と思った.
何にも知らない白紙の頭の方が知識が残るだろう,と考えるのは間違っているのだ.むしろなんらかの予備情報があった方が,知識は残るのだ.
白紙の頭というのは,たとえて言えば摩擦係数の小さいつるつるの板のようなもので,その上を知識や情報は遮るものもなくするすると滑り落ちて,あとには何も残らない.
一方,なんらかの予備知識や先入観というのは,板の上のざらざらした摩擦係数の大きい部分,とでもいおうか.知識や情報はそのざらざらした部分に引っかかって,滑り落ちずに残る,ということになる.
予習はなぜ必要か.それは情報がひっかるように、すべすべした板に凹凸をつけるためである。
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